路地裏シネマ

映画の感想、評価

映画「大鹿村騒動記」(2011)感想 74点

大鹿村騒動記

大鹿村騒動記

ネタバレなし

熟年三角関係

原田芳雄の遺作として知られている本作。原田が演じる風祭善は、18年前に妻と幼馴染の裏切りに合っている。二人は東京に駆け落ちして善の前から姿を消したのだった。
「大鹿村騒動記」は、そんな二人、治と貴子が大鹿村に帰ってくるところから始まる。
貴子は記憶障害になってしまい、治は貴子を返しにきたのだった。

幼馴染と妻の裏切り、記憶障害のまま帰ってきた妻、となかなか題材が重たい。にも関わらず、どこかふわっと軽くて優しい作品になっている。

大鹿村の歌舞伎

舞台はタイトルにもなっている大鹿村。この村では300年以上も続く歌舞伎が行われている。
主人公である風祭善は、景清という歌舞伎で主役をはっているのだ。
村人だけが歌舞伎の稽古をする風景はどこかおかしく、「リニア」のことで喧嘩したりするシーンはおもしろい。
そんななかで重要なキーワードは、歌舞伎をやっていると「自分じゃなくなる」というものだろう。
映画では、歌舞伎の本番は5日後にせまっているのだが……。帰ってきた貴子の存在や、色々なトラブルが降りかかる。

熟年三角関係の行方、記憶障害の貴子の記憶は戻るのか、歌舞伎がどうなるか、この3点に注目して観てみるといいと思う。

ネタバレあり

軽さの秘密

重たいテーマを扱っているのに良い意味で「大鹿村騒動記」は軽い。
それは登場人物たちの軽さによるものもあるのだろう。それぞれが重たいものを抱えているのに表面的には普通に振る舞っている。
なぜなから彼らは「日常」を生きているからだ。いくら暗いものがあろうとずっと暗い顔はしていられない。

「大鹿村騒動記」は、過度に重たくならないようにしている。

善と治の喧嘩シーン。貴子を返しにきた治に怒り狂う善。重たいシーンなのにBGMがすごく軽い。
善が泣きながら「愚痴でもこぼそうと思ったらおまえいやしねえ。いないはずだ。あいつと逃げちゃってるんだから」と言うところは、思わず笑ってしまうものになっている。

もう一つ、善が雷音(ライオン)の女性物下着を見つけてしまうシーン。ライオンは自分の悩みであるセクシャリティの問題を真剣にぶちまけるのに、善は「ちょっと待ってね」と言うと、トイレ流し忘れちゃったみたい、とトイレに戻っていく。
ライオンが郵便配達員に「好き」と言いながら抱きつくシーンでも、そのあとの郵便配達員の反応がはぶかれ、なぜかいい感じになっている二人が描かれている。

人間じゃなくなる

歌舞伎は誰でもどんな役になれるという善。終盤で「自分じゃなくなる」という表現がされる。
それと同時に「人間じゃなくなる」という言葉も出てくる。
最初は、貴子の父親から発せられる「シベリアから帰っても簡単に人間に戻れなかったんだ」という言葉。
そして、記憶が戻った貴子が自分の裏切りに対して「もう人間じゃなくなった」と言うシーン。
自分じゃなくなる、人間じゃなくなる、とは一体なんなのだろうか。
裏切りによって人間じゃなくなった貴子は、その罪悪感から記憶を失って自分じゃなくなってしまう。
記憶を戻った貴子は歌舞伎をやることで、自分の罪を抱えて生きる決心をするのだが、また記憶がなくなってしまい映画は終わる。

まとめ

深い映画なのになぜか軽く、悲しい映画なのになぜか笑えてしまう映画。
バスの運転手役の佐藤浩市が、最後にバカやっていて好きだった。